祖谷のかずら橋の記憶
7/21、ふれあい健康館でのコンサートでは、通称「祖谷の粉ひき唄」、私の方で改題して「西祖谷の粉ひき節」を唄わせていただきました。今秋発売のCDにも入っております。
切ないメロディに乗せて、「祖谷のかずら橋」が詠み込まれています。
なぜタイトルを変えたか?それは、祖谷には東と西があり、今「祖谷の粉ひき唄」として一般的にレコード化され、唄われているのは「西祖谷善徳地区」で唄い継がれてきた唄だから。
東祖谷には、東祖谷の粉ひき節があります。あまり有名ではないですが。
コンサートが終わったあと、楽屋に来て涙を流されたお客様がいらっしゃいました。どうしても会いたいとおっしゃって、主人が楽屋に案内しました。
聞けば「西祖谷善徳地区」のご出身で、もう50年も故郷を離れているとのこと。80歳を超えた女性です。
私の拙い唄で、あんなに感動してくださり、感無量でした。手をぎゅっと握って、お写真を一緒に撮りました。
そして、本日の夕刊に、おそらく彼女の記憶にあるであろう「祖谷のかずら橋」。
今でこそ、観光名所として有名になり、ワイヤーで補強され、安全性第一のかずら橋ですが、彼女の当時の記憶にあるのは、この橋に違いないと、感慨深く記事を読みました。
